森田大輔ブログ
2021.01.08 森田大輔ブログ
読書アウトプット/竜馬がゆく(著者 :司馬遼太郎)
これは4回は読んでます。
僕のコア・バリューに深く影響している本です。
僕は坂本龍馬の生まれ変わりとも思っています。
現に、高校も1日で脱藩し、
さらには、15年育てた会社も脱藩しています。
坂本龍馬も2回脱藩しているのです。
そして、世界規模で薩長同盟をしたいと思い、
Japan OLDを立ち上げ、今ではFacebookページのフォロワーは360万人。
志があるからこそ、どんどん前に前に進んでいきます。
さぁ、この要約を読んで、実際の本も読んでみて下さい(^^)
あなたも坂本龍馬の生まれ変わりと思うかもしれません!
※昨日の生きがいの創造とリンクしますね!
【要約】
土佐の郷士坂本八平の次男に、よばあたれ(寝小便たれ)と呼ばれる子供がいた。
名前を竜馬という。後の坂本竜馬である。
十二才で母を亡くし三歳上の姉乙女に厳しく可愛がられる。
十四歳で日根野道場に通い、剣を学ぶが、その後嘉永六年江戸に留学、北辰一刀流千葉定吉の道場に入り免許をうける。
最初は剣に青春の全てをかけた。
しかし、世上は安政の大獄、桜田門外の変と物情騒然となっていた。
竜馬は次第に尊王攘夷の思想をもつに至り、武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加する。
文久二年脱藩、勝海舟を刺す目的で江戸に出るが海舟の人とその開明的な思想に魅せられ、逆にその門下生となり、翌年神戸の海軍操錬所の創設を手伝う。
この頃、池田屋事件、禁門の変などがおこり中央の政治から長州は追われた。
元治元年操錬所が閉鎖されるや、竜馬は薩摩の後援を得て亀山社中を。
これは、一種の貿易会社であるが、そのかたわら海軍や航海の技術を修得させようというもので、後の海援隊である。
尊王開国に思想を変えていった竜馬は密かに工作、長州と薩摩の手を握らせ、維新回転の原動力となったいわゆる薩長同盟締結させた。
その後、京への行き帰りに必ず立ち寄る伏見の寺田屋で幕吏に襲われる。
風呂に入っていた寺田屋の養女が急を告げ逃がした。
これが、竜馬の妻となるおりょうである。
亀山社中の仕事と勤王の仕事をしていたが、竜馬は後藤象二郎と長崎から大阪に向かう船の中で後の「船中八策」にまとめられた骨子を話合った。
それが、明治新政府によって 「五箇条ノ御誓文」として縮小されうけつがれる。
それから五ヶ月、慶応三年十一月十五日、京都の常宿で中岡慎太郎と用談中、十津川郷士と名のった佐々木唯三郎以下六人の見廻り組に切られる。「慎ノ字、おれは脳をやられているもういかぬ。」が竜馬の最後の言葉だった。享年33歳。